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BACKアクエリアス・アルゴリズム第1話【一部無料公開】
2020.02.07
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女性……いや少女と言ったほうが相応しい声の主に、北野が問いかけた。
「随分と若いようだが、きみこそ本当に軍関係者なのか?」
変声ソフト不使用──とパピライザーが自らの頭部モニターに表示した。
「私はここの管理人です!私のことより、あなた方はなぜここに侵入したんですか」
「正規の手続きを取らなかったことは本当に申し訳なかった」
古代の謝罪に続いて、北野が状況説明を行う。
「本船は大規模重力乱流に捕まっています。対応できる操艦ソフトを探すため、やむを得ず入らせてもらいました」
しかし北野が言葉を尽くすほど、管理人の不信は深まるばかりだった。
「重力乱流に操艦ソフト?あなたたち、一体どこにいるんですか?」
「それは……」
北野は振り返って古代を見た。指示をあおぐためだ。
古代はわずかに迷ったが、首を横に振った。彼女が軍関係者だとしても、実行中の作戦について話すわけにはいかない。
「もういいです」
彼女はトントンと自分のマイクを叩いた。
「通信タイムラグは二秒弱……。まさか、あなた方……」
彼女は、連絡艇のスピーカーから音が返ってくる時間を測り、距離を算出したのだ。シンプルな方法だが、機転が利いている。安易な誤魔化しは通用しそうにない。
古代は幼い声の管理人の正体をずっと考えていた。彼女が防衛軍の技術士官か士官候補生なのは間違いないだろう。だがこちらの情報をどこまで開示するのかは冷静に判断しなければならない。
「アクエリアスだ」
古代は意を決して発言した。
少女は息を呑んだ。マイクはその音を拾っていた。
「そうかもしれないと思いましたがまさか本当にアクエリアスなんて……。そこは封鎖宙域です!直ちに離脱してください!」
「渦に捕まって動けないんだって!」と太助。
「落ち着け!」
と太助を制した古代が、少女に静かに話しかける。
「我々は民間人ではない。立場を明かすことはできないが、きみに近い位置にいると思ってくれていい。難しいことだとは思うが、こちらを信じてもらえないだろうか」
「難しい……ではなく不可能です。わたしも」
少女は言い淀み、しかし発言した。
「地球防衛の職に就く人間ですから。不審な行為を見逃すわけにはいきません。出頭してください。わたしはこれから該当宙域の担当に通報します」
通報されれば──真田がうまく処理はしてくれるだろうが──何時間も無駄になってしまう。
さらに言葉を重ねようとする古代に、雪が言葉をかけた。
「代わっていいかしら。――初めまして、管理人さん。この井戸の場所は誰にでも教えているわけではないでしょう?」
「……確かにここのことはわたしが信頼している人にしか伝えていません。伝聞や漏洩はあると思いますけど」
大きな波にぶつかった船がひときわ大きく振り回され、美雪が短い悲鳴を上げてしまった。
「子供もいるんですか?」と管理人が驚いている。
「ええ、彼女は密航してきたのだけれど」
「密航?よくわかりませんが……いいでしょう、わかりました。まずはその嵐を切り抜けてください。通報はその後で考えます」
雪は思わず笑顔になった。艦橋のみんなも静かに喜んでいる。
「ありがとう!じゃあこちらの位置情報と天候図を送るわね」
「それはあまり重要ではありません。わたしがそちらに行くわけではないので。ぜひあなたたちを救出する部隊に送ってください。今わたしに必要なのはそちらの船体データです。操艦ソフトを調整しなければなりませんから」
ここで雪が、良いわよねと声に出さずに夫に確認した。
古代はうなずき、雪に代わって話し始めた。
「わかった。すぐに送る」
古代から送っておけば、もし後でこの件が問題になっても、管理人の少女が責任を問われる可能性は限りなく小さくなる。
古代の指示でパピライザーが理論井戸に高速連絡艇のファイルを転送した。
「はい、受け取りました。でも良いんですか、これをわたしに見せて。自分の乗っている車を教える犯罪者はいませんよね……。あなたたちこそ、なぜ私を信じるんですか。」
古代たちが乗っている船は古い型だが、軍のリストに照会すればすぐに所属や来歴はわかる。
雪はくすっと笑ってしまった。
「あなたは優秀で、誠実な人──ここまでのやり取りでそのくらいはわかるわよ。私たちのこともいくらかは伝わったんじゃないかしら?」
「……そうかもしれません。なお、操艦ソフトと船体情報の統合は、AI処理しますから、わたしが見ることはありませんのでご安心を。ではわたしはこちらで作業します」
雪や古代が礼を言う前に、管理人の彼女は通信を切ってしまった。
ドイツ──シュトゥットガルトは夜の闇に沈んでいた。
寄宿寮は深い眠りに包まれていたが、折原真帆の目は煌々と輝いていた。
真帆はxRメガネを、VR仮想現実モードからAR拡張現実モードに切り替え、〈井戸〉のなかのアバターから抜け出て、寄宿寮の自分の十四歳の肉体に戻って一息ついた。──わたしの正体、バレてないよね?
真帆は先日も軍の量子コンピュータ施設にVRハッキングをかけたことが発覚して、寮長にひどく怒鳴られたばかりだった。
クリスマスイブ前日の寮にはほとんど人がいない。
理論井戸でゆっくりと数学の論文を読もうと思っていたら、とんでもない展開になってしまったのだ。
真帆はARメガネに、ずっと育てている研究支援AIを呼び出して、操艦ソフトの調整を始めた。
高速連絡艇は荒れ狂う重力乱流のなかで大きく振り回されていた。
船橋の四人は、操縦士の北野を中心に、位置と姿勢をなんとか維持しようと奮戦する。
パピライザーの計算では、操艦ソフトの調整には、軍の最上位AIを使っても、最低二時間はかかるという。「理論井戸の彼女が軍用AIを使えるとは限らないし」
北野がつとめて冷静に懸念点を挙げていく。
「二時間もこの状況だと俺たちでもきついぞ」
太助は振り返って後部座席の美雪を確認した。
美雪は重力酔いでぐったりしている。
「美雪がんばれパピ。──?!入電!入電!」
「どこからだ?」
古代がパピライザーに確かめる。
「理論井戸パピ!ぼくのなかにソフトが流れ込んできますパピ!」
「まだ二十分も経ってないぞ」
美雪以外の全員が前方ディスプレイに集まった。
井戸には管理人のアバターが浮かんでいる。
「できました。これでそちらの船は安定するはずです」
彼女の声色は少し誇らしげだ。
「すごいな。もっと時間がかかるものかと。協力に感謝する」古代は率直に感謝した。「脱出のため、いったん通信を切る」
「ご武運を」
連絡艇の前面ディスプレイが〈井戸〉から現実の視界に切り替わった。
アクエリアスにかなり近づいていて、大小の氷塊が無数に飛び交っている。
古代は船長席の肘掛けを掴んだ。
「これ以上は接近できない!雪、頼んだぞ!」
「了解!重力保護膜、形成します!」
雪が管理人によって調整されたソフトを使い、慎重に船と球体のホログラムを重ねていく。パピライザーが補助計算をして重力強度と膜半径を決定する。
ホログラムの球体が一瞬揺らめいて、船を中心にして固定された。
「保護膜安定!」「パピ!」
船体は目に見えない重力の膜で覆われて、一気に振動が収まっていく。
しかしまだ油断はできない。これまで何度も死線を潜り抜けてきた四人は、ここで慌ててはならないということをよく知っていた。
「出力回復!乱流を振り切れます!」
太助の報告を受けて、船長席の古代が決断した。
「あの子には悪いが、このままアクエリアスに着陸する!」
「了解!着陸態勢に移行します!」
北野の操作で高速連絡艇の左右から張り出した推進ブロックが二つとも分離し、続いて船体中央下部ブロックと後部ブロックも切り離された。
分離した四ブロックは、特殊なワイヤーで本体と繋がったまま、一定の距離を取っていく。
保護膜で防げるのは重力だけだ。強烈な嵐に吹き飛ばされてきた氷塊が、連絡艇やブロックに何度もぶつかる。
四つの推進ブロックは三角錐すいから正四面体を為し、その中心に連絡艇の本体が固定される状態となった。
「氷原まで五千メートル……二千……千……三百……百……」
正四面体の陣形を維持したまま、連絡艇はゆっくりと降下していく。
表層部分には通常の暴風雨も吹き荒れていたが、真田の改造は的確で、推進ブロックはまったく揺らぐことはない。
いよいよ眼前に迫ってくるアクエリアス氷塊。
北野は中央部に広がる大氷原への接岸を試みる。
「空間固定、重力アンカー射出!」
北野と太助の息はぴったり合っている。ヤマトを降りた後も二人は厳しい任務をこなしてきたのだ。
「アンカー固定を確認。アクエリアス氷塊に着底!」
「北野、また腕を上げたな」
古代が北野の肩に手を置いた。
「いえ、まだまだです。それにしてもこのソフト、本当にすごいです。船体の三次元三軸補正も完璧で。パピライザーもよくやってくれました」
パピライザーはパピと電子音を出して応答した。
雪は夫を見つめた。──艦長職を目指している今の自分には鮮明にわかる。彼の、古代進の、みんなをまとめて導いていく能力は天賦のものだ。それが絆となってヤマトのみんなを結びつけている。
「美雪、大丈夫だったか?」
古代は美雪のシートベルトを外してやった。
「あははは!」
「美雪?」
「正直言うと、すっごく怖かった」
美雪はそう言って笑い出した。
船橋の空気が一気に和らいでいく。
まったく強い子だと、うなずき合う古代と雪。
古代は通信回線を開いて、理論井戸の少女に報告を入れた。
ノイズはかなり激しくなっている。
「ありがとう。きみのプログラムのおかげで脱出に成功した」
「よかったです。と言いたいところですが、乱流を抜けて、今どこに?」
「すまない。アクエリアスに接岸した」
「そうするつもりだと思いました。あなたたちは一体そこで何をするつもりなんですか?」
古代は迷ったが、自分たちの目的を伝えることを決意した。助けられてなお、最も重要なことを隠してはおけない。
「ヤマトに行かなければならない。きみならこの名前の重さはわかるはずだ」
第1話 (特別公開バージョン) 了
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匿名の少女・折原真帆の協力によって、ついにアクエリアスの氷原に降り立った古代たち。真田が懸念するアクエリアスの二勢力の正体とは。銀河系全体にも不穏な空気が広がる中、ヤマト探索が始まる──