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BACKアクエリアス・アルゴリズム第1話【一部無料公開】
2020.02.07
〈氷華〉──船体にその名を刻んだ艦は、全体を特殊なフィールドで覆い、氷のなかを水中かのように、音もなくさらに深く深く沈んでいった。
古代たちを乗せた高速連絡艇は2202年に建造されたものだが、今回のミッションのために、真田のいる科学局によって大きく換装されていた。武装はないものの、連絡艇としては最新鋭に近い装備になっている。 最前席の北野や右舷席の太助はさっそく操作パネルを試している。
その後ろの一段高い船長席に古代は座っていた。船を率いるのは久しぶりだ。初めは船長の任を、北野か雪に任せようと思った。しかしそんな後ろ向きの態度で、ヤマトの元に行くわけにはいかない。古代は船長席に深く座った。
左舷側の席で船内の点検をしていた雪が、ディスプレイの表示に違和感を覚えた。
「あなた!」
「どうした?」
「船底部に移動物体二つ。これ、何かしら」
未登録物体を示すアイコンが二つ、雪の目の前の船内地図に表示されていた。
人間の歩行速度程度で移動している。
「密航者か……あるいはテロリストでしょうか」
「手違いで乗り込んだ運搬用ロボットかもしれません。出港のときには確認したんですけど」
北野と太助に、古代はうなずいた。
「雪はここで引き続きモニターを頼む。北野、太助、コスモガンを装備して俺に続け」
男たち三人は足音を立てずに、船橋後部の階段を降りていく。
雪からの通信によれば、移動物体は二つとも船底の備品室をうろうろと動き回っているという。
身を低くした太助がゆっくりとドアを開き、古代が先頭をきって、暗い室内に入っていく。北野が古代に続く。
古代が小声で雪に備品室の照明をつけるように指示した。
室内が明るくなった瞬間、奥で何かがぶつかったような音がした。
古代は意を決して踏み込んだ。
「誰だ?出てくるんだ!」
「パピ……」
「パピライザー?迷い込んだのか?え?美雪?」
「えへへ」
こうして美雪の〝密航〟は発覚した。
パピライザーと共に船橋に引き出され、古代と雪に目一杯叱られてしまった。
「どうします。引き返しますか?」
「ここまで来てか……」
北野の問いかけに、古代は悩んだ。高速連絡艇はすでに大気圏を突破し、全行程の大半を踏破してしまっていた。
戻ることも不可能ではないが、大気圏再突入が必要となる。そうすれば様々な機関に、この船が稼働していることが発覚してしまうだろう。
逡巡(しゅんじゅん)する古代を見て、美雪は真剣に訴え始めた。
「アクエリアスで沖田艦長を探すんでしょ?沖田のおじいちゃんに会うんだよね!」
「美雪。お前……聞いてたのか」
パピライザーで盗聴していたとはもちろん言わずに、美雪は言葉を継いだ。
「おじいちゃんに会いたいなって思って」
古代は両親を遊星爆弾で失った。
美雪には祖父母の話と共に、もうひとりのおじいちゃんとして、沖田艦長の話もしてきた。
「まったく……誰に似たんだか」
古代は大げさにため息をついてから雪に意見を求めた。
「私じゃないわ。私たちに似たんでしょう」
と笑って、雪は美雪を抱き寄せた。
「でも雪さん、緊急時には宇宙服がないと」と太助。
「そうだ。宇宙服は四人分しかないだろう」ここは宇宙だ。どんな危険があるかわからない。もちろんいざとなれば、船長である自分は宇宙服を着ないという覚悟を古代は持っていた。
太助は後部デッキの床の扉を開け、中から宇宙服用ラックを引っ張り出した。
「おわッ!」
「どうした太助」
「あります……美雪ちゃんサイズ」
太助が子供用の宇宙服を手にして、古代たちに見せた。誰もが一瞬あっけにとられ言葉を失う。
「……真田さん」
「すごすぎっす」
北野と太助が真田の神がかった先読みにリアクションした時、船体が急激に反転した。
「きゃあ!」
浮き上がって壁に叩きつけられそうになった美雪を、古代はとっさに抱きとめた。
全員がすぐに状況を確認する。
「周囲に感なし!」と雪。
「機関部に損傷ありません」
機関長の太助に続き、操縦士の北野が現状を報告する。
「流されています!」
「重力乱流か?」
古代の声を聞き取った船橋AIが、前方ディスプレイに周囲のレーダー画像を映し出す。
太助が覗き込んだ。
「アクエリアス表面まで千二百キロはあります。いくらなんでも影響が出るの、早すぎませんか」
「いや、間違いなさそうだ。しかしこれほど巨大な重力渦は、アクエリアス氷塊誕生からこれまでの観測データにない」
北野がホログラムモニターに分析映像を映し出した。
アクエリアス氷塊を幾重にも取り巻く重力の流れの一つが、不自然に肥大した渦となって、こちらへ迫っていた。連絡艇は渦の片鱗に取り込まれつつあった。
「イレギュラーパピ!」と驚くパピライザー。
「大丈夫だ。こっちには北野がいる」古代にそう言われて、北野は俄然やる気を出した。
「よし、脱出します。美雪ちゃん、シートベルトを確認してね」
そう言うと、北野は神速の勢いで操艦パネルを操作し始めた。
「太助、重力波キャンセラー最大!」
太助も副操縦席でサポートするが、すぐに暗い声で報告した。
「駄目だ……。最大出力にしましたが重力相殺できません……」
「脱出不能パピ!」
高速連絡艇は進行方向に背を向けた状態で振り回されるように流れていく。船はますます重力渦の中心に近づいていく。
古代は皆を元気づけようと声をかけた。
「この船は真田さんが整備してくれたんだ。落ち着いて対応すれば問題ない」
そう、真田のことだ。ぬかりはない。美雪のことも予想していたくらいだ。
つまりこの渦はその真田の想定をも超える特異的な天体現象ということになる。
「操艦ソフトウェアのパラメーターが足りないパピ!」
「地球防衛軍の標準ソフトにもないような代物か……」
北野がはっと振り返った。
「古代さん!〈理論井戸〉だったらあるいは見つかるかもしれません」
「何のことだ?」
古代が問い返した。
「軍用の特別なソフトを自由に議論しながら開発している、防衛軍専用ネットの会員限定サイトです。前に招待されて、何度か行ったんですが、レベルが高すぎて、最近はご無沙汰しています」
「技術士官だけの閉鎖ルームね。私も聞いたことがあるわ。理論が湧き出る、理論を汲み出せる井戸、って意味なんですって」
と雪が補足する。
北野は自分の通信履歴から〈理論井戸〉にログインを試みたが、アクセス拒否されてしまった。
「すみません、古代さん。定期的にパスワードが更新されているみたいです」
北野の恐縮した顔を見て、すかさずパピライザーが電子音をピピッと鳴らした。
「これくらいの暗号なら数分で破れます。どうしますかパピ」
全員の視線が古代に集まる。
古代はしばし目を閉じて考える。微妙な判断だ。有志の士官たちの勉強会のパスワードを破って、データをコピーしても、軍への敵対行動とは見なされないだろうが、古代個人の信条として仲間にむちゃなことはしたくない。
またも船体が大きく揺れた。古代は目を開けて、
「緊急事態だ。迷惑をかけた士官たちには後から俺が説明する。パピライザー、やってくれ」
「了解パピ!」
船橋の前面ディスプレイに理論井戸が表示された。データブロックが井戸のように円筒を形成しながら、下にどこまでも延びている。外側からはデータの中身を見ることはできない。
上端の理論井戸入り口に、パピライザーを小さくしたアバターが現れた。
井戸の入り口には、半円形の蓋が二枚置かれている。蓋には、アバターと同サイズの錠前がかかっていて、井戸は固く閉ざされている。
パピライザーはアバターの手をドリルに変形させ、錠前の破壊を始めた。暗号を解読しているのだ。
「ピ!奥に双対圏論(そうついけんろん)暗号あり!時間がかかります」
ドリルの先端が鍵穴に差し込まれ、回転を始めた。
画面内に処理済の暗号の切れ端が火花のように飛び散っていく。
突如、帆船型(はんせんがた)の警備ソフトのアイコンが錠前の上に現れた。船首から光り輝くデータ錨を飛ばし、パピライザーのアバターをたちまち捕縛してしまった。
古代たちが驚く間もなく、音声通信が艇内に響き渡った。
「不法侵入の現行犯で逮捕します!」